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地 域 真田の郷


真田氏三代の歴史
松尾城跡

(角間渓谷入り口に聳える「石の砦」)
   場所  小県郡真田町大字横沢字日向
   お問い合せ先   真田地域自治センター 産業観光課

  〒386−2201
   長野県上田市真田町
   TEL  0268−72−2200(代)      
上田菅平インタからR144を菅平方面に車で約15分、横沢の信号を右折、最初の信号を角間方面に左折、約5分 
下から見るとそれほど高い山ではないのに、岩場で登りにくく1時間ほどかった。甲冑を付けていればさらに大変。


真田氏は、真田町を発祥の地とし、上野・三河・甲斐・上田・大阪・松代等全国的に活躍の舞台を広げ、至る所に往時を偲ばせる
貴重な史跡をとどめています。
松尾城は真田本城の守りの城でもあったようです。真田本城を松尾城と呼び、松尾を城を松尾古城と呼ぶこともあるようですが、
真田本城のほうが松尾城より古いようです。

日向畑遺跡
角間渓谷に入る少し手前、左側に「日向畑遺跡入り口」の案内看板があります。ここが松尾城の登り口になります。 昭和46年の発掘調査で、石造宝篋印塔、石造五輪塔が出土。ほかに鉄器、古銭、土器、石器、火葬骨なども出土。その形から見て、室町時代から戦国時代にかけての物と見られています。
武田信虎・村上義清・諏訪頼重連合軍に敗れた幸隆らは上州吾妻へと落ち延びた。戦新支配者は前の領主の墓を壊したようです。この遺跡はら、幸隆以前の真田氏の墳墓と考えられています。

松尾城跡
「日向畑遺跡入り口」の案内看板のすぐ上に松尾城跡登り口の看板があります。 松尾古城は角間の城とも呼ばれ、本郭は標高970m、東西11m、南北14m、周囲に石垣がめぐらされ、前方のみ口が開いています。

本郭二ある三角点 途中にある秋葉社
こうした厳しい岩場を登らなくてはならない 本郭からの眺め


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